雑感

本報道のように、 大学の授業で取り上げる映像を問題視し、プロパガンダだとレッテルをつけることを看過していれば、某系列の制作するエンターテイメン ト作品か政府の制作するプロパガンダ映像、プロパガンダ報道のみ授業でとりあげることが許される時代になるだろう。つまり、大学で学ぶ学生が、あらゆる視点・作品に接して自ら考え検証してゆく機会が失われてゆくのである。大学という学問の場が学問のできない場と なってしまうのである。その延長線上に何が起こったのかについては、歴史が残酷なまでに証明しているが、その歴史さえ学べなくなるの である。

今回のような新聞報道は、研究機関としての大学の存在のみならず、学生の学ぶ自由をも脅かす報道であり、現政権の見解を代弁する「御用学者」しか育たない機関に「大学」を失墜させようとする意図があるのではないか。

高橋博子 (広島市立大学広島平和研究所)

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